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近況報告

2日くらい前から虫さされのような赤いものが沢山体にできてしまいました。まるでダニに刺されたようです。とてもかゆくて困っています。最初は全く原因がわからず、どこか体の調子が悪いのかなどと考えておりましたが、原因判明。
 赤みに気がついた直前は彦根の清掃作業でした。(日記既書)よって、水辺の何かに刺されたようです。以上ご報告まで。                                        日梵

追伸 
法華寺・本要寺ホームページは「ホームページビルダー」で作成しておりますが、閲覧者側のパソコンの個性によって、文字と画像がダブってしまったり、書体が変わったりする不具合が生じるようです。基本的にはこちらのパソコンでベストな状態で配信していますが、もし不具合がございましたらお手数ながらメールにてご一報ください。お願い申し上げます。


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京都・桂のヒデ

初めまして、京都の桂に住む通称ヒデです。いつもお世話になっております。
本要寺ホームページ開設のお知らせをいただき、拝見しています。
確かに、最初は文字と画像が重なっているところがありましたが、今は改善されています。OKですよ。また、日々内容が更新され、楽しみにしています。
さて、一つ質問です。日蓮宗のお寺の資料を読んでいて、「本迹勝劣」との言葉が在りました、良く分かりません?教えていただけませんか。メールでもかまいません。
by 京都・桂のヒデ (2006-10-03 10:17) 

日梵

ヒデさん。記念すべき第一号コメント感謝します。
 さて、ご質問の「本迹勝劣」ですが、なるべく分かりやすく説明いたします。我々が所依の教典とする妙法蓮華経は1部8巻28品69384文字で構成されており、この妙法蓮華経そのものが、仏様の究極的なの悟りの教えであるので、この一文字一文字が仏様の悟りそのもの(一々の文文これ真仏なり)と捉えます。ですから、その経題であるお題目を唱えることは、母が子に乳を含ませるが如く、我々凡夫が釈尊と同様な高い次元の精神性を身につけるためのご修行です。

久遠の釈尊=真理=妙法蓮華経=南無妙法蓮華経のお題目

というイコール図式になるわけです。

 この妙法蓮華経の教えをみると、2つのテーマに分類されます。前半14品を「迹門」、後半14品を「本門」といいます。
 「迹門」とは教主釈尊はブッダガヤで成道して以来、数多くの経典を説いて、浅い教えから深い教えへ、低い法門から高い法門へと衆生の機根に合わせて教えを説き、最後に法華経の迹門へいたって究極の法門が示されるに至ったと考えます。
 この教えの中心となるのは『方便品第二』であり、すべての存在は互いに関わり合い、そしてこの一瞬に地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏と無限の世界が宿っているという一念三千の教えが基本となります。

「本門」の教えの中心となるのは『如来寿量品第一六』です。ここでは教主釈尊が「われ、仏を得てよりこのかた、へたる所の諸の劫数は、無量百千万億載阿僧祇なり」と久遠の過去において成仏し、常に説法教化して来たことを明らかにしたものであり、仏の本地が顕されました。即ち迹門までの仏は、インドに応現した王子が、出家して苦修練行の結果、菩提樹のもとで悟りを開かれて仏陀になり、爾来いくたの教えを説いてこられたとする「ブッダガヤ成仏」の仏であります。しかし本門の中心たる寿量品では久遠実成、つまり、迹門をふまえて永遠の生命をもった無始無終の教主釈尊が顕されたわけで、これを「久遠本仏」と称しています。
 日蓮聖人はこの寿量品の久遠本仏のことを『開目抄』の中で、天の実月にたとえ、諸仏を水の上に浮んだ月影に比しており、水中の月を実月と思いこむような誤りをしてはならないと誡められております。つまり寿量品の仏が本体唯一の本仏であって、諸仏はその分身であるとするのであります。(例えば阿弥陀様とか薬師様など)
 そして迹門の一念三千も、本門にいたってようやく実を結ぶのです。凡夫の成仏の可能性が、永遠の命を持った釈尊の存在(パソコンを打っているこの瞬間にも常住している)によってグッと我々に近づいたのですから。
 また、日蓮宗ではこの本仏をもって本尊に定められています。このように本門といわれる法華経後半の14品は、その中心たる寿量品の久遠実成をもって、最も大切な法門としているのです。

日蓮教団各派では、この本門と迹門について、どちらの教えがすぐれているか、どちらを尊重すべきかという教義解釈の相違によって、分派を繰り返します。

●本門が迹門より勝っているので本門を中心に修行すべき(勝劣派)

●本門は当然勝れていることは言うまでもないが、迹門あっての本門であり、勝劣を論ずるべきではない。一応本門は勝っているが、再応考えると本迹に相違なし(一致派)

今の我々日蓮宗は「一致派」学説です。法華宗諸派などは「勝劣派」学説です。しかし、本尊は教主釈尊、日蓮聖人が祖師という点では相違がありませんので門下連合を組織しております。

やっぱり難しくなってしまいました。反省。       本要寺住職 日梵 九拝

追伸 

日蓮正宗や創価学会などの教団は上記に付け加え、釈尊と日蓮聖人に勝劣を論じ、釈迦は法力を失った抜け殻仏、日蓮聖人こそ末法の本仏と主張しますので、日蓮教団の中でもっとも偏狭な教えであると考えられます。
by 日梵 (2006-10-03 17:06) 

京都

早速、お応えいただき有難うございました。
拝読して、正直直ぐには理解できていません。何度も読み返して、理解に務めます。有難うございました。
by 京都 (2006-10-03 17:40) 

鐘の音

興味深く拝読しました。
これからも、仏教用語をやさしく解説してください。
日蓮上人と日蓮聖人はどう区別したらよいのですか?
小生の父も10月に亡くなりましたが、日蓮上人とのご縁を感じます。
その父の記した位牌簿に「法華宗」と記載があるのですが、日蓮宗と宗派が完全に違うのですか?
by 鐘の音 (2006-10-13 13:19) 

日梵

鐘の音様
 ご丁寧に書き込みいただき厚く御礼申し上げます。今後ともよろしくお願い申し上げます。また、御尊父様のご冥福をご祈念申し上げます。
 <日蓮上人と日蓮聖人はどう区別したらよいのですか?
 日蓮宗の法要式には、「上人号は一般の僧侶、聖人号は高徳の僧侶や派祖、大聖人号は宗祖に限る」とあります。ただし、現況を見ると聖人号や大聖人号、大上人号などが以前より混在しているようです。しかしながら、宗祖に対する尊崇の念は一向に変わるものではないので特に問題視せずに使われているようです。現在、書籍論文等で宗祖に使われる敬称は聖人号、法要中の敬称は大聖人号か大菩薩号(宗祖を上行菩薩の再誕と捉え使用する場合があります)が多いです。
 創価学会などや日蓮正宗などでは、宗祖を本仏としますので、大聖人しか使用してはいけないようです。(以前、正宗信徒の意見として正宗系僧侶が大聖人号ではなく聖人号で宗祖を指したことに触れ、罪深いと批判していました)ですから、聖人号、ましてや大菩薩号などは教義的にありないようです。
 逆に言うと、「日蓮大聖人様、大聖人様」と申し上げている信徒は正宗創価の方が絶対的に多いとも言えるでしょう。ですから、他の日蓮系教団では、通常、正宗創価と区別する意味で大聖人号を敬遠しているむきもあるようにも感じます。
 
 <位牌簿に「法華宗」と記載があるのですが、日蓮宗と宗派が完全に違うのですか?
 日蓮宗とは、明治時代になって日蓮系諸寺院が一致団結合同して公称したのが始まりです。先述した本迹一致の教義です。
 法華宗とは、現在は日蓮宗に合同しなかった勝劣派の寺院を指すことが多いです。 法華宗本門流・法華宗真門流・法華宗陣門流などがそうです。
 しかしながら、明治以前は日蓮系教団を法華至上主義の立場から「法華宗」と称していたようですし、現在の法人分けによるセクトでは他派ということになりますが、日蓮聖人門下連合といって本仏釈尊・宗祖日蓮聖人ということで一致団結しております。                        本要寺日梵 九拝
by 日梵 (2006-10-13 16:44) 

鐘の音

早々にご回答いただき恐縮しています。
上人(しょうにん)と聖人(しょうにん)を混同していました。
聖人は「せいじん」と読むものとばかり思っていました。恥ずかしい限りです。
また、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗は上人(しょうにん)と敬称し、他宗では使わぬものと勘違いしていました。即ち法然上人、空也上人、親鸞上人、蓮如上人、日蓮上人などで、道元上人とはいわないものと宗派によって敬称が違うものと思っていました。ありがとうございました。
 私の愛する宮沢賢治が「日蓮上人御遺文」を座右の書とし、法華経に傾倒していたことを知り、法華宗にも関心をもっています。
今後ともよろしくご教示ください。
by 鐘の音 (2006-10-13 18:32) 

日梵

鐘の音様
拙僧の説明もあまり上手ではないのでその旨まず謝罪申し上げます。おそらく、日蓮系教団・浄土系教団・天台系教団は上人号を日常も使用していると思います。真言系や禅系ではあまり耳にしたことはございません。但し、称号としてはあるようです。因みに、禅宗であれば、高徳の道元や螢山などの諸師は禅師の敬称がふさわしいでしょう。
 ご存じとは思いますが、「雨ニモマケズ」は末尾に南無妙法蓮華経・南無釈迦牟尼仏・南無多寶如来 云々  と、おまんだらが記入されており、その文意はまさに法華経の常不軽菩薩の精神を表したものです。家は浄土真宗だった賢治ですが『島地大等監修. 漢和對照 妙法蓮華経』に出会い生涯を妙法に捧げたのですよね。
 拙僧も、賢治には興味があるものの浅学ですので、逆に色々ご教示いただければ嬉しく存じます。今後ともよろしくお願い申し上げます。   日梵 拝
by 日梵 (2006-10-13 21:05) 

鐘の音

ご丁寧なご回答うれしく拝読しました。
どうでもよいこととお笑いでしょうが、本要寺の写真を見ますと、ご本尊に向かって左に「橘」(ご本尊から観て右)と観られる樹がみられるのですが、何の樹なのでしょうか?平安神宮は「左近の桜」「右近の橘」が見られます。
日蓮宗の家紋は「井筒に橘」と思いますが、その謂われ由来をお教えください。本要寺本堂の向かって右は何の樹ですか?
彦根藩主井伊家の家紋は確か橘と聞いています。日蓮宗と関係はありますか?田辺の法華寺の紋はやはり橘ですか?境内に橘はありますか?日蓮上人は生存中に橘紋を決めて使っておられたのでしょうか?お教えください。
何も知らない鐘の音より
by 鐘の音 (2006-10-16 23:45) 

日梵

鐘の音様
ご質問にお答えします。
>ご本尊に向かって左に「橘」(ご本尊から観て右)と観られる樹がみられるのですが、何の樹なのでしょうか?
「夏みかん」です。橘ではないのですが同じ柑橘系です。
>日蓮宗の家紋は「井筒に橘」と思いますがその謂われ由来をお教えください。>日蓮上人は生存中に橘紋を決めて使っておられたのでしょうか?
橘は古来より常緑のため「永遠」を意味し尊ばれていたようです。日蓮宗でなぜ井桁に橘紋を使用するようになったかという正確な情報は残念ながらありません。しかし、ご指摘の通り、日蓮聖人の出生が貫名氏(日蓮聖人は自らのご出生について詳しく述べられていないが、井伊家の流れをくむ貫名家の出身との伝説がある)との関係から井桁に橘紋を使用するとか、聖人は橘が好物だったからとの説もあります。ちなみに現在の日蓮宗の宗定紋は「宗章紋」といって日蓮聖人の名を図案化したもので、日輪と白蓮華を表現しています。当山HPの上段にある紋がそれです。
>田辺の法華寺の紋はやはり橘ですか?境内に橘はありますか?
本要寺・法華寺ともに寺紋はありません。日蓮宗の寺院は「井桁に橘」紋をもって寺紋としているところが多いでしょう。大きな寺院は独自に寺紋を定めています。(身延山の牡丹紋など)あと、法華寺にも橘はございません。桜はありますが。
余談ですが「井桁橘紋」にも橘の足が一本のものと三本のものがあります。あまり皆様気づかれていないようですが、以前「池上系と身延系の違い」と耳にしたことがございます。                       本要寺 日梵 拝
by 日梵 (2006-10-17 07:01) 

鐘の音

ばかばかしい疑問にその都度ご丁寧なご返事痛み入ります。
 私はミカン科の植物が好きで、可憐な白い花、芳香ある果実、とげのある木(バラにもとげがある)に魅力を惹かれるのです。ミカン科の木に「アゲハチョウ」が来ます。アゲハチョウはミカン科の植物を知っているようです。例えば「山椒」の木はミカン科なのですが、アゲハチョウが良く来ます。
橘から話が反れましたが、日蓮上人とのご縁を大切にしたいと思っています。
by 鐘の音 (2006-10-17 22:43) 

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