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愛知万博ネパール館での想い出

 大分前の話になりますが、一昨年愛知万博がありましたね。拙僧も2度行ったのですが、職業柄とでも言いましょうか、やはり仏教国パビリオンにはとても魅せられました。(勿論世界各国素晴らしかったのですが)
 その中で、ネパールは、釈尊生誕の地であり、今でもヒマラヤ山脈を中心としてチベット仏教、ネワール仏教、ヒンズー教などの諸宗が渾然一体となって息づいている地ということもあり、館内は仏教寺院仏塔の復元や密教法具の展示などがあり、土地の強いお香の匂いや、土地の食べ物の匂いなどが充満し、カトマンズの街角に立ったような熱気でした。
 そして、仏塔の中にはいると、タンカ(仏画)や密教法具や仏像などが所狭しと並べられ、それらを物販しております。中でも、特に気に入ったのはタンカです。現地のラマ(高僧)が色鮮やかな岩絵の具で仏を念じながら図した曼陀羅や仏画は、日本の伝統にはない様相で、釈尊の往時を偲ばせるような一品でした。 
 その中で、釈尊の一生を描いたタンカと、梵字曼陀羅が目にとまり、すぐさま 現地スタッフとの交渉です。何十万円というビックリするような価格がみるみる下がり、我々でも何とか手を出せる価格まで下がります。高価ではありますが。うーむ、現地っぽい。
 そして、交渉成立。雑然と丸まっているタンカをするりと抜き、そのまま渡してくれます。領収書を書いてくれるのですが、唖然・・・・・。購入したタンカを台にして、力一杯ペンをすべらせているではありませんか。そして領収書と一緒にタンカが渡され、笑顔で見送っていただきました。
 その瞬間、彼らの神仏に対する強い想いを感じたのです。我々日本人は、仏像にしても仏画にしても、高価なものとか年代の古いものといった金銭的物質的な価値を基準にしてしまう。よもやもすると、そこに有り難さをも観じてしまう。しかし、チベットやネパールの仏教徒は、汚かろうが綺麗であろうが、高僧の描いた仏画であろうが、壁の落書きであろうが等しく敬うのです。そこにあるのは、神仏への畏敬の念のみです。
 また、彼らは輪廻転生を信じ、今生にて自らの罪障を消滅させる故に一生懸命五体当地などの修行に励みます。一定の戒律も遵守しています。ですから、今置かれた状況が仮に貧しかったとしても、人を羨むことはしません。なぜなら、魂は自己の責任の上に成り立っているから、貧しさこそ「あるがまま」であり、他者を羨むことなど無意味である理を体得しているからです。 
 日本の仏教徒には欠けた資質であり、素直に考えさせられました。そして、改めて仏教って素晴らしいなあと感じたのです。
 


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