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靖国神社と奇跡の椰子の実

 本日東京に上京しました。主たる予定は明日です。すぐ彼岸ですので今回は新幹線往復になります。今日は靖國神社に行き、その後神保町古書街で仏教書を探してまいりました。
 拙僧はおそらく戦争に何らかの縁があると思っております。祖父が沖縄で戦死していることもあり、父は拙僧の俗名に靖孝と名付け、初参り、七五三、毎年の初詣は日蓮宗寺院と靖國神社でした。また、結婚は本化法式に乗っ取った法華経御本尊御宝前での式でしたが、披露宴は九段会館で行いました。(靖国神社には若くして戦死された方々のために、ご遺族が花嫁人形を多数奉納されており、その人形を拝した際、先人に感謝するべく家内と2人で九段での宴を決意しました)
 また、具体的なシチエーションの戦争の夢を見ることが多く、昨日も、地下の洞窟を迷い、その穴をを抜けると透き通るような青い空と海、同時に昔の懐かしさがこみ上げ、何とも言えない幸福感に包まれるという夢をみました。目を覚ますと、それは明らかに地下壕、南洋の海、故郷を懐かしむ戦中の夢でした。
 
 靖国神社には「奇跡の椰子の実」という椰子の実が奉納されております。
説明文
「ルソン島サンタクルーズにて戦死した島根県出雲市出身の陸軍軍属山之内辰四郎命(マニラ陸軍船舶司令部所属)が、戦死1年前の昭和19年7月、戦況いよいよ悪化し、マニラ市を退避するに当り望郷の念断ちがたく、病院船勤務の同郷の友、陸軍伍長飯塚正市の名も書き加え、マニラ湾に流したこのヤシの実が、31年の歳月を経て昭和51年3月15日戦友の住む大社町の港に漂着した。これを発見した同町の岡貞吉が、よくよく見ると墨書の「陸軍伍長飯塚正市君」と読み取れ、然も飯塚正市が出雲市に健在なるをつきとめ、ヤシの実は飯塚正市から山之内辰四郎命の未亡人きよ子の手に届けられ、夫人より神社に奉納された。
31年間の長い年月大海原を漂流し続けた悲願の籠るヤシの実は、こうして故郷にたどり着き、戦友と妻の暖かい胸に抱かれたことは、まさに奇跡といえよう」

こうした実話は理屈では説明できず、まさに死者の崇高な信力がなしえたであろうと思います。

 日蓮聖人は報恩抄で「老狐は故里(ふるさと)を忘れず、死ぬ時はかならず首をもとに住んでいた丘に向け、昔、毛宝に助けられた白亀はその恩を忘れず毛宝が戦いに負けた時に水の上を渡して窮地を救った、と言われている。このように、動物でさえ恩を知り恩に報ずるということがある。まして人間が恩を知り恩に報いることをわきまえないでよいはずがない」とご教示されております。
 因果の道理を考えたとき、現在我々が当たり前のように大地を踏みしめ、平和に生活できる果の因は、先人が国を想う、子孫を愛する気持ちあってのことではないかと思うのです。
 いずれにしても、幼少の頃よりの想い出や、他界した父との思いでの詰まった神社ですので、今日は有意義なひとときを過ごさせていただきました。ありがとうございました。 

神社正面

清らかな涼風、快晴の空。昨晩の夢を思いい出しました

拝殿前。ここからは皇族も下乗です

拝殿

拙僧披露宴を行った九段会館。今月で丸三年になりました

神保町で仏教書を探しました


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コメント 2

鐘の音

「椰子の実と靖国神社」興味深く読みました。小生が「椰子の実」と聴いて思い浮かべるのは、島崎藤村「落梅集」にある”名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ・・・・・”です。一度も靖国神社に詣でたことがありませんので、一度詣でてみようと思っています。父は陸軍大尉、伯父は陸軍少将でしたが戦死しませんでしたので靖国神社に祭られていません。それで馴染が薄かったことが理由です。でも一度参りたいと思っています。
「死者の崇高な信力がなし得たであろう」は同感です。日蓮上人報恩抄の法話は含蓄がありますね。このような説話や法話など教育に取り入れて欲しいと考えます。ありがとうございました。
by 鐘の音 (2007-03-17 15:46) 

日梵

鐘の音様 
 尉官・将官のお父様伯父様。謹んで敬意を表します。日蓮聖人は中国古典に精通されており、御遺文を拝読しましても孝経など儒教の思想が色濃く感じられます。
by 日梵 (2007-03-26 18:55) 

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