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列車中での想い出

ダイヤ改正の度に、懐かしい列車が姿を消していく。今日も「寝台特急日本海」がラストランを迎えた。報道を見ていると、懐かしくもあり、一時代が終わっていく一抹の悲壮感がある。

 最終列車にホームから「ありがとう」と声がかかる。中には感傷的と捉える人もあるだろう。しかし、その対象が「モノ」であったとしても、感謝を抱く心は実に美しい。

 拙僧も約20年前に免許を取得し、給料をはたいて(当時浅草でサラリーマンをしていた)初めて購入した愛車「カローラⅡ」を手放すときの、あの寂しさは今でも忘れることがない。青春の想い出が全て詰まったような車だった。感謝を込めてワックスを塗って送り出した。今でもたまに同車種を見かけると、ふと自分が乗っていた車を思い出してしまう。

 仏教には「草木国土悉皆成仏」という考え方がある。チベット仏教ではそのような捉え方はしないようだが、ダライラマ法王は日本仏教のその思想に深く感銘を受けて、シフトチェンジしたと聞いた。さすが法王は固執していない。時代に敏感である。

 モノであっても自然であっても成仏するといった思想はいっけん非現実的のようだが、これからの時代に必要な考え方だと思う。現代日本は自分自身が生きるのに必死なあまり、自分本意の生き方に徹し、人の気持ちや、他者からの恩・善意、目に見えない神仏や先祖を意識しない傾向にある。他力本願なのに自己主張はしっかりする。してほしい(得)のに、し返さない(損)。

 あらゆる価値観が尊重される良い時代?なので、屁理屈も多い。自分が身を削って他者に喜びを与えることを「無意味・損する」と思う人が増えてしまった。モノも心も消費されるだけ。

 話がそれた。学生時代に「ムーンライトながら」という夜行に乗車した。定刻通り東京駅を出発。まぎゃくの席に座った老人はビールとちくわを用意した。夜行旅情を楽しむには欠かせないアイテムだ。品川を過ぎ、川崎に差し掛かろうとしている。その老人はまだ、ちくわの真空パックを開けられずにいる。横浜に着いた。結局開けるのを諦めてしまった。

 私はその老人に話しかけてちくわをスッと開けてあげた。老人は嬉しかったのか、自分の用意した酒やつまみを私にすすめてくれる。結局私の用意した酒やつまみも混ぜて楽しい夜行車中談義が始まった。いつしか話は戦争の話へ。先人の大変貴重な話だった。気がつくと一睡もせず名古屋。私も老人もあくびをしながら別れた。懐かしい想い出である。日本海の報道を見て思い出した。

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開かれたお寺づくりと、正しい情報の定期的な発信を!

 先日京都府綾部町在住の面識のない男性から電話をいただきました。

「人生の壁にぶつかり、仲間を突然失い、生きる意味を模索してきた。上座部仏教やヨガや座禅などあらゆる宗教を試したが、自らの心の隙間を埋めるまでには至らなかった」

 「あるとき、偶然書店で日蓮聖人の本を読んだ時、その生き方に強く共感し、涙が溢れて止まらなかった。世法ではなく信仰を貫き、いかなる困難をも他者に原因を求めることなく、真摯に人生を歩まれた姿に勇気をもらい、日蓮聖人や信念の拠り所になった法華経を勉強してみたいと思った」

 「具体的には日蓮聖人が佐渡に流罪されたとき、鎌倉の弟子が赦免運動を展開しようとした。これを御祖師様は、迫害は経説の通りで自らは寸分の曇りもないと運動を拒否された。また、赦免後、幕府が大幅に譲歩し、宗門公認や広大な一等地を寄進するという、飛びつきたくなるような条件も拒否、幕府の思惑、つまり、信仰本意ではなく、表面的な宗教利用を見抜かれての行動だったなど」

「世の荒波に振り回されている自分にとって明確な道しるべになった」

 御祖師様が仮に世法を優先していたら、今の日蓮宗は味付けの薄い料理のようになっていたのでしょう。

 ここで彼が言っていたのは、家の近くにも多くのお寺があり、日蓮宗もある。しかし、ハッキリ言って近寄りがたく戸惑っていたところ、拙寺のブログに出会ったそうです。

 拙寺ブログは、真面目なことの他に、檀家さんとの出来事や想い出、、夕食後に住職を尋ねて一緒にラーメンを食べに行ったとか、宗教とは関係がない、くだけたこともアップしてあり、少し恥ずかしくなるような気もしていましたが、これがきっかけで少々遠いが、意を決して連絡してみようと思いったそうです。それでもかなり緊張したとのこと。

 物腰の穏やかな彼ですが、内に秘めた情熱に深く心をうたれました。そして、ネットには多くの情報が氾濫しています。中には日蓮の名を冠したカルトまがいの新宗教や団体も多く存在します。

 書店にも、あらゆる団体が発行出版した本が陳列されていて、慎重に選択しないと、誤った情報を受け入れかねません。

 その中で、よく拙寺にご連絡いただけたことは仏縁だと思います。彼を失望させることのないよう、精一杯精進したいと思います。

この仏縁を無にすることなく、失望させることなく努めて参ります。そして、今後も正確な情報を発信していきたく存じます。 合掌 


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3月11日が近づいてきました

 フェイスブック上で、3月11日に開催される京都マラソンに反対する日記を発見しました。

 以前著名人が震災後翌月のディズニ​ーランド再開時に一万人が行列し、子供がはしゃぎ、へらへらする​親の映像にふれ

 「未曾有の大災害が眼前に広がっているにもかかわ​らずが、いまだ同じ論理で生きる国民に警鐘を鳴らし、本当の復興​をしようと思えば「価値観」そのものを変化させる必要がある」

 と​発言したことを思い出しました。花見自粛の問題もありましたが、​慮る行為が大切と思い、当山では檀家さんと慰霊法要後、地味に行いました​。

 京都は送り火問題もありました。種々意見はありますでしょうが、拙僧もこの日付選考には感心していません。まだ一周忌ですので、少なくとも当日の午後​はしめやかに過ごしたいものです。 
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信仰のあり方

こんにちは
年末年始と多忙を極め、なかなかブログを更新できません。お許しください。

フェイスブックは「中紙賢孝日梵」で検索できると思います。利用なさっている方は是非友人になりましょう。

数年前に伏見在住のMさんから電話があった。

「法華経を修行したいので定期的にお寺に伺いたい。お題目を唱えて先祖供養もしたい。御本尊もお祀りしたいとも考えている。ただ、現在生活が苦しくて、職も流動的なため、その時に応じた布施供養しかできないが構わないですか?」

勿論二つ返事で来寺を促した。

その男性は毎月お寺に参拝する。体調の悪いときや仕事の融通がきかないときも、何とか参る努力をし、無理な場合は電話をくださる。財政的に厳しいにも関わらず、ひとつき空いた翌月は空いた分を足して若干お布施が増えている時もある。

息子の安穏を願って献灯料を供えることも。

今日もその方が参拝した。

「いつも丁寧に供養していただいて申し訳ないので自我偈とお題目だけ唱えてくだされば結構です」と仰る。

財政的なことで遠慮しておられるのだと感じたが、いつも通り法要をさせていただいた。

帰りがけに「気持ちがスッとしました。また一ヶ月頑張ります」と嬉しそうに帰って行った。

最近は新興宗教が流行る。自分の目的や夢を達成させるために、その手段として一生懸命信仰するが、先祖を敬ったり、他者の幸福を願ったりと、空気のように目立たないが、息をするように大切なことがおろそかになる。

現代人は自分のしたいこと・興味のあることを一生懸命して満足する。しかし、本来なすべき事を無視していることも多く、それでは本質を見いだせない。スタンプラリーと同じだ。

Mさんのような平凡な日常行動に本物の信仰心を見出すとき、法悦に浸る。

最後に先日参拝した靖国神社の絵馬に
「娘にとって最善の道を歩むことができますようお導​きください 母」とあった。 合掌 住職日梵

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天皇誕生日によせて

 今日は天皇誕生日。幼少の頃、亡き父に連れられて参った一般参賀を思い出します。​当時は先帝ご誕生の4月29日でした。とても沢山の人の列が連な​り手には日の丸。二重橋から皇居内に入りました。今思うと皇居の​中は伊勢神宮の内宮のような佇まいです。
 宮殿前ベランダを皆が見上げる。「間もなく天皇陛下がお出まし​になります」アナウンスが入る。それと同時に旗の音と人々の声。​球場やコンサートにで聞く歓声とは明らかに違う。まさに「歓喜の​声」でした。陛下がお話しになる御振る舞いを察知するや一瞬に静​寂、そして再び歓喜。
 ふと隣を見ると老父を支えながら参拝に来ている息子。私の父は​その息子さんの姿を見て目を潤ませていました。
 あれから30年以上経ちますが、拙僧は他界した父に親孝行がで​きただろうか。いつの日か父の位牌を抱いて一般参賀に上がりたい​。

謹んで今上陛下のご生誕をお祝い申し上げます。南無妙法蓮華経
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今時の若者あれこれ

 数年前になるが早稲田大学サークル早稲田精神昂揚会のメンバー20人が本要寺に宿泊した。彼らは、恵まれた世の中にあって、「苦労」を経験する機会がすこぶる少ない。それでは人として円満具足できないのではないかと感じ、あえて毎年ストイックな行軍をする。その年は箱根から京都までを走破する企画で、一日の食費が一人百円。米と味噌のみ持参し、東海道を進むという。各地の宿泊先は公民館や寺院が主だが、今時ながら彼らの真摯な態度と礼節に共感したからか、多くの協力者がいたとか。

 拙寺も前もって電話連絡を頂いたのだが、その後綿密な計画書を郵送してきた。前日当日と連絡もあり、安心してお貸しできると感じた。

 当日は最後の宿泊先なので、檀家さんと相談し、前夜祭としてささやかなおもてなしをした。若者が好きそうなオードブルやピザ、飲物を振る舞い、仏様も鼻を摘むような神聖な薫りをスーパー銭湯で落としてもらった。

 彼らは右翼・左翼・唯物主義者・無神論者・信仰家等多様な学生で構成されていたが、議論こそすれどもとても仲が良い。会長「このご恩は一生忘れません。すぐに恩返しできないが社会に貢献する人物となって恩返しとしたい」と言い残して去っていった。皆清々しい気持ちになった。本当に彼らと巡り会うことが出来て良かった。

 昨年、某国立大学のヨット部が琵琶湖で大会があるので2泊3日の宿泊をお願いしたいと連絡を受けた。既に多くの寺院に断られているらしく、 許可すると喜んでいるようだった。その際、連絡先や詳細をメールしてほしい旨連絡する。その後全く連絡がないので、確認するとやっと送ってきた。コンビニおにぎりの手配などが必要らしいので、こちらですべて引き受けた。

 そして当日、到着時刻を大幅に過ぎても来る気配がない。心配になった拙僧は担当者携帯に連絡すると漸くつながる。

住職「私は大津本要寺住職の中紙です」
学生「え!あっはいい」

住職「大津本要寺の中紙ですけど」
学生「あっはいい」

住職「おたくは○○大ヨット部の方ですよね」
学生「ええそうですけど」

住職「あの、おたくは今日本要寺に宿泊するんですよね」
学生「はい。泊まります」

住職「遅れるなら連絡してくださいよ。こちらも予定がありますので」
学生「あー。はいー」

その後遅れて彼らは到着した。気持ちよく利用していただきたいのだが、あえて主将を務める三年生女子に説教した。

・寺は旅館じゃない。君たちのために予定を調整していることを理解しないといけない。
・遅刻は他人の時間を奪うことなのだからしっかり連絡しないといけない。自分達の値打ちも下げる。
・少なくても前日か当日の朝に連絡入れるべき。
・「あーはい」ばかりで挨拶や「お世話になります」がなぜ言えないのか。
・主将が導いて問題意識を共有しなさい。

その後無事大会も終了し、掃除をして礼を言い帰って行った。

主将からは丁寧な礼状を頂いた。

そして本年・・・・・・

同ヨット部から再び宿泊の依頼電話がある。主将が替わり今年は男子だ。予定を調整し、宿泊を許可した。その際、当方も予定が詰まっているので人数や予定、連絡先を早急にメールするようにお願いしておいたのだが。

その後二十日以上たっても全くメールがない。拙僧が主将に電話をした。

住職「大津本要寺住職の中紙ですけど」
主将「あっはい」

住職「本要寺の中紙ですけど」
主将「はい」

住職「おたくはヨット部の主将さんですね」
主将「はい」

住職「私のことわかりますか」
主将「あーはい。ああ。連絡先のメールのことですよねー」

アウトーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

何故単純な挨拶ができないのか?なぜ言い訳せずに「メール遅れて申し訳ありません」が言えないのか?言葉でなくても行動で示すこともできる。

気の毒だが丁重に宿泊をお断りさせていただきました。あてがわれるだけ、行為をただ消費するだけでは、彼らのためにならないと判断したからです。

物質社会で何不自由なく生活していると、感謝が無くなる。あっても、すっと感謝を表現できない。言葉に表さずとも行動に示せばよいが、それもない。

 親しくない他者から挨拶をされると不愉快になる話を聞いたことがある。拙僧も、コンビニレジで礼を言うと怪訝な顔をされ、御礼言ったんだよって説明すると妙な反応だった。不思議に思っていたら後にネット上で「レジで客にありがとうと言われたくない。不愉快になる」といった投稿を見つけた。私は仕事。貴方は知らない人で親しくないから声かけるな」だって。

世も末だ。セールスの電話でも、しつこく購入を要求されるので、今は無理だが数ヶ月後に購入の可能性はあると伝え、後日ふたたび連絡がある。状況が熟さず、申し訳ないがやはり購入は難しいと伝えると「買ってくれるって言ったでしょ。だから電話したのに」と逆に怒られてしまった。 

話を戻すが、昨日。ヨット部主将から再び電話があった。

「どうしても宿泊先がないのでなんとかなりませんかねー」
「何処か紹介していただけないですかね」

挨拶はなく自己主張ばかりだった。

こちらは意地悪するつもりもなく、恩を着せるつもりもない。ただ、甘えさせるだけなら彼らが社会人として生きていく為の気づきを逸してしまうだろう。

真摯に宿泊させてもらえるような電話してこないところ見ると何もわかってない。結局他力本願だ。これが「ゆとり」の一端なのか?それとも物質社会の問題なのか?

日本は礼節を重んじ、恩を知り恩に報いる行為を大切にする。

前者と後者、若者にも種々相あるが、今の学校で教わらないことを、家庭や地域社会でしっかり伝えていく必要がありそうだ。


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素晴らしい葬儀と最近の傾向

 昨日、師僧の自坊で葬儀の役僧を依頼されました。故Gさんは信行会の会長を務められるなど、寺門興隆に絶大な貢献をなさった方で、いつ訪ねても必ずお寺にいらっしゃいました。人柄も明るく、心から菩提寺を愛しておいででした。拙僧も出家得度以来大変お世話になり、報恩も込めて全身全霊で霊山往詣を祈念いたしました。

 当日は親族関係者はじめ、信行会員が総出で参列、出棺時は勇壮な団扇太鼓の音色、皆で声浪々とお題目をお唱えしました。喪主の息子様の挨拶で「頑固な父でしたので、よく衝突することもありましたが、今日、皆様の温かな御心に触れて、父の家族では感じ得ない部分を評価していただいたことを認識し、感謝の気持ちで一杯です。」と仰いました。なくなったお父様が心の中に蘇った瞬間ですね。葬儀ってやはり必要だと思います。
 
 太鼓を叩きながらふと思った。十数年前の華やかな落慶法要、笑顔に満ちた檀家さん。副住職が荒行から帰山した際の誇らしい瞬間。そして今回の葬儀と、お寺って一つの空間で色々な相があるけれど、人生の卒業式を愛すべき我が寺で厳修できた故Gさんも生きた関係者も皆笑っているかのように見えました。
 
 最近は直葬と言った便利な言葉がありますね。そのような言葉を誰が考案したのか?ペットが亡くなり供養する人が増えていますが、動物の直葬が減り、人の直葬が増える。変な世の中になりました。

 皆様はその言葉に救われているのでしょうか、惑わされているのでしょうか。現代日本人は瞬間に囚われ、ただ生きているだけの者が多いのか、誕生日や結婚式、成人式は派手にしても、葬式はしない。他者からの恩を消費だけして報ずることをしない。自分本意に生き、自分の為だけに物質を消費する。遺族はサラッと「直葬しましたが四十九日はしたい」と言う。形だけで心が伴わない儀式などそれこそ無意味。
 
 ある方は「成仏するためには四十九日をしてやらないといけないと聞いた」という。なら、どうして葬儀してやれなかったの?曰く「時間と費用を節約した。最近はみんな直葬が増えているらしいから」と。現代人はけっこう霊やお化けを気にするしスピリチュアルだのパワースポットだの言いますが、ここで故人が化けて出ることは考えなかったのかな?
 
 人として心を養う機会が葬儀や供養なのだと思います。そして、自他共に仏道を成ずると言うように、皆の真摯な祈念が故人の魂を宗教的救済世界に安住させ浄化成仏するのです。煩悩に惑わされ、執着心を残し、顛倒する衆生の魂は、未浄化の風になるか、輪廻の渦に呑み込まれてしまう。

 故Gさんは千の風にならずに霊山浄土に安住したことでしょう。そして我々をお見守りくださるでしょう。
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金のなる木

●お金に不自由しない人

1  感謝の生活をする人
2  収入以下で生活する人
3  賭けを当てにせぬ人
4  独立自尊心が強く、責任感のある人
5  仕事を趣味とする人
6  一事を貫く人
7  常に節約する人
8  金や物を大切にする人
9  他者の幸せを悦び、すすんで施しのできる人
10  常に神仏を敬い、信仰の浮気をしない人

●お金に不自由する人

1  常に不平不満を言う人
2  見栄を張り贅沢する人
3  一攫千金を夢見る人
4  依頼心・依存心が強く、人任せの人
5  朝寝道楽の強い人
6  三日坊主の人
7  常に借金をする人
8 金や物を粗末にする人
9 自分の為に打算的で他者に施せない人・ケチ
10  欲の為に神頼みしコロコロ信仰の浮気をする人


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東日本大震災 本要寺を祈りの場としてご活用ください

大津市 日蓮宗本要寺では今般発生いたしました東日本大震災に際し、全山あげての支援を心がけておりますが、本堂には四十九日を経過し、震災総犠牲者様の本位牌を安置しております。

 大津市近辺にお住まいのご遺族様や関係者様、また、祈りを捧げたい善男善女にはご参拝いただければと存じます。

法務のため留守の場合もございますので、前もってご連絡くだされば確実に開堂しております。
520-0046 滋賀県大津市長等2-3-29  日蓮宗本要寺
メールアドレス honyouji@bj9.so-net.ne.jp
電話 077-522-0337

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東日本大震災で被災された皆様へ

この度の大震災に際し衷心よりお見舞い申し上げます。

震災犠牲者様の回向・被災期間中に年忌に当たる霊位回向・日々生活においての各種祈願その他 なんでも。遠慮なく大津市本要寺にご連絡ください。遠方ですが精一杯祈ります。 心は皆様と共にありたいと願っております。 

※財施は不要です。ご心配なくご用命ください。

連絡先
520-0046 滋賀県大津市長等2-3-29 日蓮宗本要寺
電話  077-522-0337
メール honyouji@bj9.so-net.ne.jp  

可能な限りで構いませんので回向・祈願の内容をお伝え下さい。必ずお祈りいたします。
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