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総本山身延山久遠寺慰霊参拝 [霊跡由緒寺院]

8月19~20日、檀家様の慰霊のために、ご家族と身延山に詣りました。誰からも慕われた大切な檀家様の不慮の事故だっただけに、本要寺僧俗関係者一同無念でしたが、満中陰忌も終え、霊山浄土に往詣されたことを確信しております。頗梨雪院日英居士 妙法経力即身成仏 南無妙法蓮華経

日蓮聖人が故郷安房の両親を偲んで登られた思親閣奥之院
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日蓮聖人御廟所で報恩回向
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日蓮宗僧侶が教師僧侶になるために必ず入場する信行道場。拙僧が入場して10年が経ちましたが、当時のことは今でも鮮明に思い出されます。当日は第二期信行道場中で、結界内から読経の声が響いていました
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日蓮聖人御遊学の霊場 比叡山定光院 [霊跡由緒寺院]

今回の兼務寺院法華寺のシタールコンサートには多くの皆様にご来山いただきましたが、東京から拙僧の知人にもお手伝いいただきました。この度正式に日蓮宗僧侶として得度、立正大学に編入学して行学に励む善成(ぜんじょう)法師です。今回のコンサートの手伝いも快く受けてくれました。心の底から仏教を楽しみながら行じている姿を見ていると、拙僧の学生時代を思い起こさせ、何とも懐かしく、微力ながら応援しております!!
 翌日は善成法師のかねてよりの希望で、比叡山見学と、横川定光院参拝をさせていただきました。定光院は、日蓮聖人が学生期のご修行期間にさらなる研鑽を深めるために、安房清澄寺から遊学された霊場であり、その地での真剣なご修行が、釈尊への帰命と絶対的な法華経信仰を目覚めさせたわけですから、全日蓮宗徒が等しく敬うべく霊場です。その中でも、修行期間中の所化学生は、定光院の日蓮聖人に面奉することで、決意新たに、純粋で清らかな魂を養うことができるでしょう。
 また、延暦寺では大講堂に安置されている日蓮聖人像にご挨拶申し上げ、その後、根本中堂では、偶然「天台宗伝承法流四流派慶讃1200年合同法要」なる法要を天台宗宗務総長、比叡山副執行ご臨席のもと厳修しており、天狗のような修験道行衣はじめ種々の袈裟衣をまとった僧侶約70名が出仕していました。他宗の法要は普段なかなか拝見できないので、大変貴重な経験をさせていただきました。法華経読誦を主眼としていたようですが、残念なことに、法華経は観世音菩薩普門品偈のみの読誦で、あとは天台真言の陀羅尼や般若心経読誦でした。僧侶の皆様は、観音経は経本を拝読しており、その他陀羅尼や般若心経はスラスラ暗誦されていました。
 日蓮聖人は比叡山在山中に、「法華経修行の根本道場である比叡山は、もはや真言や念仏に支配され、本義を忘れ去り、濁れる山と化している」と感ぜられましたが、その一端をかいま見たような心地がいたしました。改めて正統な法華経の修行宗団である我々の存在意義を再認識いたしました。

延暦寺内にある日蓮聖人の説明。他宗の宗祖の説明板が山内にあることは、天台宗の懐の深さでしょう
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根本中堂外観
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定光院までの山道にありました。結構険しい道です
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定光院本堂外観
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定光院に立つ日蓮聖人銅像です。安房清澄寺旭の森に立つ日蓮聖人像と兄弟銅像になります。定光院は説法像、清澄は合掌像です
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雑司ヶ谷鬼子母神御会式 [霊跡由緒寺院]

東京の雑司ヶ谷鬼子母神の御会式を紹介します。場所は東京都豊島区。池袋駅から徒歩10分ほどの場所です。ここは拙僧にとって思い出の場所で、実家から近いところにある由緒のある日蓮宗寺院ですので、仏教に興味を持ち始めた学生時代には自転車でよく通ったものです。

雑司ヶ谷鬼子母神公式HP http://www.kishimojin.jp/index.html

 雑司ヶ谷鬼子母神では、毎年10月16・17・18日に日蓮聖人のご命日に際し御威徳を偲ぶ御会式(おえしき)が盛大に厳修されます。10月~12月の時期、全国の日蓮宗寺院では各々御会式法要を厳修しますが、その中でも、東京一円を中心とした御会式は特に盛大です。日蓮宗徒の有無を問わず、街を挙げての大行事となっております。日蓮聖人が御入滅された大田区池上の大本山池上本門寺や杉並区堀ノ内の本山妙法寺、そして雑司ヶ谷鬼子母神法明寺の御会式が特に有名で、毎年何万~何十万人もの参拝があります。関西一円の宗徒の皆様も深い信仰心をお持ちですが、街を挙げての日蓮宗行事は無く、機会があれば本要寺檀信徒の皆様にも参拝していただきたいと願っております。
 御会式は、日蓮聖人百遠忌の頃には「御命講」「御影講」などと言われていたようですが、江戸時代頃から太鼓を叩いてお題目を唱えながら街を練り歩くようになりました。浮世絵にも当時の様子が描かれております。

 その中心になったのが講中と呼ばれる庶民の集団で、今でもその伝統を継承した講中は、各講に万燈(まんどう)を揺らし纏(まとい)を振り、出発点から各々本堂にむかって練行列するのです。昔は夜明まで練り歩いたようですが、現在は午後7~11時位までの供養です。
その迫力といったら文上で表現するのが難しいくらいで、講中参拝者、見物参拝者共に鳥肌の立つような何とも言えない陶酔感があります。日蓮宗徒として誇り高い気持ちで一杯になるのです。
 今回、久しぶりに雑司ヶ谷の御会式に参拝しましたので画像アップします。

ちなみに動画サイト「YouTube」で御会式動画が多数ありました。
http://jp.youtube.com/watch?v=4BM3512Y0WE

鬼子母神堂前の様子です

露店もかなり出店され、混み合った中を万灯行列が通ります

万灯アップ。紙で作られた桜の花です。人がそれを担いで振ります


目白通りです。学習院や日本女子大学があります。写真は田中角栄邸付近。

火消しが振ることで有名な纏です

老若男女、太鼓を叩きます


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岡山市 最上稲荷妙教寺・日蓮宗不受不施派祖山妙覚寺参拝 [霊跡由緒寺院]

合掌
 本要寺には最上位経王大菩薩が別勧請されております。このご縁により、年に一度は必ず岡山市内にある最上稲荷妙教寺に参拝いたします。今年も参拝してきました。
【最上位経王大菩薩】
 久遠実成の本師釈迦牟尼仏の応現として、衆生の済度のために菩薩の姿となって現れた、法華経の守護神といわれる。最上位とは、その位階が最上であることを表し、経王とは諸経の中の王をいい、最上位も経王も共に法華経を意味するのである。その姿は女神であり、柔和にして豊麗、左の肩に稲束をになって、右の手に鎌を持ち、白狐に乗り、その白狐は口に如意宝珠をくわえている。稲束は最上尊が五穀の神であることを象徴するものである。これは食糧をもって生活を守護することを意味している。また鎌は稲束と共に農作を表し、広く労働を守護する意を持ち、更に悪を払い退散させる意をも表している。白狐のくわえている如意宝珠は心願成就・開運招福を意味している。最上尊は俗に稲荷と呼ばれるところより、狐であるように混同されているが、いわゆるキツネ(動物)ではなく、久遠本仏・法華経の応現仏として、法華経の精神を心として衆生済度のために出現した菩薩である。最上尊の乗る白狐は、白すなわち最上尊の清浄なることと、神出鬼没の神通力・神秘的な霊力を象徴するものである。最上位経王大菩薩には八大竜王・三面大黒天の脇仏、日車天王(ひぐるまてんのう)・荒熊天王(あらくまてんのう)等の七七の天王が眷属として、取巻いている。
                                           《稲荷日宣『法華経の心』》
最上稲荷公式HP http://www.inari.ne.jp/




 
 岡山県は「備前の堅法華」といわれるほど日蓮宗信仰の非常に盛んな土地です。その中で、日蓮宗の一派である「不受不施派」の拠点であることは有名です。その祖山妙覚寺は最上稲荷からも近いのでそちらも毎年参拝いたします。妙覚寺歴代墓所には、不受不施の純潔を守るために殉死された僧侶や信者の供養塔が建立されており、他寺院の歴代墓所とは明らかに雰囲気が異なります。それは神社にも似た清らかな雰囲気です。
【不受不施派】
仏性院日奥上人(1565-1630)を派祖とし、岡山県金川妙覚寺を本山とする日蓮系の一派。日奥上人は豊臣秀吉の大仏千僧供養会の出仕に関して(日蓮宗の教義解釈で、信仰者以外への供養や布施、他宗僧侶との同座を禁じるもの。受けることも同様に禁じられ、歴史上度々解釈において問題視され議論になっている。中でも、この秀吉の千僧供養に出仕するか否かは当時大問題となり、為政者に反するような危険を冒すべきではないとして出仕を主張する受不施僧侶と、あくまで信仰の純潔を主張し出仕を拒絶した不受不施僧侶が対立した)日奥上人はこの不受不施義によって為政者の怒りを買い、慶長5年(1600)対馬に流罪となった。その後慶長17年赦免される。この頃より宗門内は勿論のこと、幕府の政策により社会的な問題として不受不施義と受不施義の論争となり、寛永の不受不施事件に日奥は死後の流刑を受けたのである。寛文5年(1665)幕府は土水供養を出して不受不施派の弾圧を行い、元禄4年には悲田停止令が出されて不受不施派は禁制宗門となった。以後、地下信仰として不受不施派はその法脈を伝承してきたが、その間多くの弾圧事件が引き起された。やがて明治新政府が確立するに及んで、明治8年に釈日正は不受不施派再興請願書を新政府の教務部に呈し、翌9年「日蓮宗不受不施派」の再興、派名公称の認可が下り、独立宗派となった。



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小松原山鏡忍寺新年ご挨拶 [霊跡由緒寺院]

 本日は本要寺寺庭の実家、千葉県鴨川市にある霊跡本山鏡忍寺へ新年のご挨拶に伺いました。現在祖師堂は、小松原法難会第750遠忌記念事業として新築中ですが、来年春の落慶円成に向けて着々と工事が進行中であります。天候にも恵まれて、謹んで法味を言上申し上げました。久しぶりに祖母や兄姉とも話ができ、貫首猊下はじめ、皆様には大変お世話になり厚く御礼申し上げます。 
 
【日蓮聖人は法華経最勝のお立場から、正法である法華経を弘め、三徳具備の教主釈尊を尊崇し、いかなる迫害に遭おうとも死身弘法・不惜身命のご化導をなされました。聖人自ら「大難四ヵ度小難数知れず」と仰っていますが、その中で最も壮絶で、聖人のお心の中に深く刻まれた法難が「小松原法難」です。
 かねてより日蓮聖人に敵意を抱いていた、聖人の故郷安房の地頭東條景信公は、聖人を殺害せんと一族郎党とともに襲撃し、弟子の鏡忍房と工藤吉隆公が殺害され、聖人自身も眉間に傷を被られたのです。聖人は工藤吉隆公の忘れ形見をあずかり、身延山で僧侶として教化育成したのち、「鏡忍房と実父吉隆公の菩提を弔うために、法難その地に一寺を建立せよ」と命ぜられたのです。聖人のお気持ちを察するに、衆生を救わんがためという大船のようなお気持ちの死身弘法ではありますが、聖人自らの身代わりの如く、二人の尊い生命を奪われた事実、とてもお辛かったであろうと推察申し上げるのです。しかも、その実子を僧侶として育成し、聖人自らの命で鏡忍寺を建立されたのですから、この霊跡はまさに聖人の魂魄宿る地なのです。この地は七百年以上経った今も往時を偲ぶにふさわしい、おそらく聖人御在世と変わらないであろう情景を呈しております。】

鏡忍寺総門・山門

鏡忍寺の縁起板

「降神の槇」 法難の際に日蓮聖人を守護するために鬼子母神が降臨した神木。その根元付近がまさに法難の地

高樹齢の神木付近でエネルギーを頂戴しました

建築中の祖師堂は現在土台施工中です。奥に見えるのが本堂客殿

法華一部講のご案内。以前、本要寺檀徒の皆様にも多数賛同いただきました

本堂客殿

歴代上人御廟


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日蓮宗総本山 身延山久遠寺 参拝 [霊跡由緒寺院]

合掌
 今日は身延山に参拝しました。数日前に参拝した池上本門寺と同様、祈願御礼と供養に伺ったのです。休日と土曜日に挟まれた金曜日ということもあり、道路は大渋滞。東京を出るのに2時間近くかかってしまい、普段なら3時間くらいで行けるところを4時間以上かかってしまいました。
 非常につかれた状態で山内に入ったのですが、霊気溢れる身延山ですので自然に力が湧きました。日蓮聖人も「身延の山は吹く風も、ゆるぐ木草も、流れる水の音までも妙法蓮華経とこだましている」と仰っておりますが、

澄みわたった青空
爽やかな緑
あざやかな紅葉
ひんやりした霊風・霊水
遠くから響いてくる団扇太鼓の音色
雪を頂いた富士山

本当に素晴らしい霊山であることあらためて実感しました。

日蓮聖人御遺文『身延山御書』より
「身延山の住居は、まことに千早振る神がめぐみを垂れて天下りました所であるかのようです。風情を解する心もない身分賤しい男女までも心ひかれる景勝の地です。四季おりおりの景色、とりわけ物の哀れを感ずる秋の夕暮れなどは草庵に露が深く降りますが、軒にかかる蜘蛛の糸にむすぶその露は、あたかも玉を連ねたように見事です。周囲の山々の紅葉もいつしかその色を深め、とぎれとぎれに伝える懸越の水にその影を映す風情は、あの有名な紅葉の名所である龍田川の上流もこのようであろうかと思われます。
草庵のうしろには高く険しい山々がそびえ、木々の梢には一乗の果実を結び、下の枝には乙の鳴く声がやかましいほどです。草庵の前には谷川の水が勢いよく流れ、実相真如の月はその影を浮かべ、深い無明の闇は晴れて法性の空には少しの雲もありません。このようなまことに静かな場所でありますので、草庵では昼は一日中、法華経の法義を論談し、夜は夜どおし法華経要文の読誦にあけくれています。あたかも、釈尊の住まわれたインドの霊鷲山(りようじゆせん)をこの身延山に移したように思われます。霧が深くたちこめ、嵐の激しいときも山に入っては薪をとり、また露の降りた深い草を踏み分け深谷に下りては芹をつみ、また山から流れ出す流れの早い瀬に菜を洗っては袂を濡らし、その乾くのを待ちわびる思いは、むかし歌人の柿本人麻呂が詠んだ「和歌の浦に藻汐汲みつつ世を渡る海人」もこのようであったろうかと思うばかりです」

日蓮聖人が観じられた環境を、現代において拙僧も観じ、このうえない法悦です。

身延山久遠寺山門

大本堂へ続く菩提梯

宿坊の紅葉

身延川霊山橋より

御廟所遠景

御草庵跡

御廟所の紅葉

身延山最高の浄域「祖廟」

御廟所の紅葉

日蓮宗僧侶は必ず入行する道場

身延山久遠寺HP http://www.kuonji.jp/main001.htm
                                            本要寺住職 日梵 九拝


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大本山池上本門寺参拝 [霊跡由緒寺院]

合掌
 今日は日蓮宗大本山池上本門寺に参拝してまいりました。以前より、京田辺法華寺檀徒の方の諸願を祈念申し上げていたのですが、先月、霊山浄土に安穏に赴かれましたので、そのご供養と御礼に伺ったのです。

山門

大堂(祖師像を安置する最大の伽藍)

大堂からの境内点描

本堂(釈尊・法華経地湧の四菩薩を安置する)

霊廟(正面=日蓮聖人 脇=2祖日朗聖人 3祖日輪聖人廟所)

本門寺境内に咲くお会式桜

 この大本山は東京都大田区に所在し、山号は長栄山です。日蓮聖人は弘安5年(1282年)に持病を治療するため身延山を下り、南部実長の次子弥三郎実氏の所領内にある常陸国(茨城県)隠井の湯に赴く途中、病が悪化して同年9月18日(19日ともいう)に武蔵国千束郷池上村の檀越池上宗仲の邸に立ち寄りました。宗仲や弟子たちの厚い介抱にもかかわらず病勢はすすみ、遂に10月13日ここで入滅します。
 昭和20年(1945年)戦災で五重塔・経蔵・宝塔・惣門を除くほとんど全山の建造物を焼失しますが、幸いにも祖師像(国・重文)と聖人自筆消息などを含む古文書類が多少持ち出されて難を免れました。この祖師像は、宗祖7回忌の折に造立されたもので、日蓮聖人に親近していた直弟子らが花押を認めておりますので、聖人の面影を現在に伝える貴重な祖師像です。力強く、もの凄い眼力をおもちの聖人像です。
 昭和23年以来は復興事業を重ね、現在は大伽藍群が建立されました。なお、聖人入滅の忌日に毎年執行されるお会式の行事は、江戸期から当地最大の宗教的“祭り”として著名であり、いまも盛大を極め多くの善男善女が参詣します。そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。
 帰りがけに、日蓮宗の出版部である日蓮宗新聞社に立ち寄り、各種仏教書、経本を購入して帰宅いたしました。                                    本要寺住職 日梵九拝
 


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