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節操がない霊園経営僧侶

拙寺にも境内墓地はありますが、郊外という立地もあってか、村の旧土葬墓地や近隣の霊園墓地を所有されている檀徒も多いのです。霊園墓地というと、ゴルフ場の如く、大規模な山林開発によって山を切り崩して墓地にしています。広大かつ眺望の良さなどから人気がありますが、墓地を経営するには宗教法人資格が必要となるため、悪徳業者が宗教法人とタイアップして霊園を経営し、トラブルになるケースもよく聞きます。
 先日納骨に伺った場所も拙寺から20分くらいの大型霊園でした。その霊園は真言宗寺院の経営で、宗派無問の霊園事業をされているようです。入口には会館があり、精進落としの食事や法要も依頼できるようで施主様にとっては願ったり叶ったりの便利な施設のようですが・・・・
 
 さて、納骨のため当家の墓前に足を運ぶと、なにやら墓石に真新しく文字が彫ってあります。どうやら納骨される方の法号のようです。

住職「この法号はいつ彫っていただいたのですか」
施主「先日です」
住職「法号を彫らない方も多いのであえて申し上げませんでしたが、墓地を工作する際には魂抜法要を厳修されるのが本来の作法ですよ」
施主「それなら済ませました」
住職「どちらにお願いしたのですか」
施主「住職にお願いする前に、この霊園で法号を彫っていただく相談をした際、彫刻は勿論、魂抜も霊園の僧侶がしっかり抜いておくと言われたものですから信頼してお願いしました。宗派の相違は特に仰っていませんでしたので」

 霊園の僧侶は真言宗です。この僧侶は日蓮宗法華経の真理が宿った墓石から一体何を抜いたのでしょうか?拙僧もしっかり施主様をお導きできなかった落ち度は反省しなければなりませんが、この霊園を運営している真言宗の寺院は節操のない商売寺院です。仮に逆の立場であったなら、拙僧は菩提寺の僧侶に魂抜法要を依頼されるように促しますよ。この僧侶は真言宗の法儀で魂抜をしたのでしょうが、魂抜をしているように演技したのと大差ないですよ。
 仏教離れが加速している昨今、檀徒の宗派意識も薄れています。義務慣例としての死者供養に終始してしまう傾向があります。だからといって通仏教意識が覚醒しているわけでもありません。僧侶の怠慢がこのような現状を導いたとも考えられますが、これは危惧すべき問題なのです。であるにも関わらず、この霊園僧侶は利便性やサービスを追求する一般施主に乗じ、つけ込んで、結局自らの利益のために最低限のルールを無視する。
 そのようなことだから、単純に資格を取得した僧侶や、役者が法衣を着用して読経する偽僧侶など悪徳商売が横行して、その区別もつけることができずに、仏教の信頼も失墜し、最終的には「僧侶なんかいらない・千の風になって♪♪」となってしまうのです。これを他人のふんどしで相撲を取るような節操のない所業と言うのです。

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