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住職雑記~日教組教育の弊害~

ゆとり教育世代が今の20代だという。極力競争学習を抑制し、徒競走の時は順位をつけずみんなが一緒にゴールイン。そんな教育を受けた学生が実社会に放り出されると・・・
 競争と実力の社会に愕然とし、現実の厳しさを目の当たりにする。平等の名の下に昨日までお手々つないでいたお仲間が出世する。実力や要領の良い友人が自分を飛び越していく。そして取り残された者は・・・
 
 スポーツ精神「敗者は勝者を讃え、勝者は敗者に敬意を表す」
 
 競争力の身についた人間は、情熱と底力がある。自らの置かれた状況に納得がいかなくても、現実を直視しあらゆる可能性を頭に描き続けるだろう。
 しかし、先述したゆとり世代は、本来自己責任であるべき不平不満を他者に向け、他者を妬み、裏切られたと憎悪の念をむき出す。仏教で言う渇愛、執着の悪循環を生み出し、破滅へと向かってしまう。

 また、道徳教育も、価値観の強要を避けるために教育現場から消えてしまった。『神社新報』2916号石井昌浩氏のコラムには
「大人の価値観を子供に押しつけるのは、国を問わず、どの時代にあっても避けられない宿命である。この当たり前の事実を認めようとしない潮流が戦後日本の教育界を支配してきた。教育に強制はなじまないとする。この潮流こそ今日の教育の混迷と荒廃をもたらした元凶である。(中略)未来のために、子供たちが世の中を生きていく心の支えとなる座標軸を提供すべきなのに、このもっとも大切な課題から日本人は目をそらし続けてきた。もともと道徳教育は一般的な教育規範を教えるのに止まらずより具体的な徳目つまり「礼儀、忍耐、勇気、正直、正義、友情」などの道徳の細目を例示することから成り立っている。しかし、道徳教育に反対する人たちは、徳目こそ道徳教育の核心であることを見抜いた上で徳目主義反対を唱えた」
 とあり、誠に的確な主張をしておられる。

 秋葉原で犠牲になられた霊位のご冥福を祈るととともに、日蓮聖人が『立正安国論』を執筆された意義を改めて考えさせられる昨今である。正しきを立てて国を安らかにする。宗教的に日蓮聖人が目指す正法とは『法華経』であり、釈尊の真理の充満した仏国土であろう。しかし、現代人の意識から欠如した普遍的な人としての良心や理性、それらを法華経の真理から導き出すことが肝要であり、ただの盲目的宗教信仰では、真の立正安国精神を潰してしまうであろう。
 教育の現場で、道徳倫理が伝えられないのであれば、今こそ寺院がその役割を担うときではないか。

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