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知覧~開聞岳~桜島

合掌
 先日、鹿児島に行って参りました。以前当ブログ「愛する南九州」「靖國神社と奇跡の椰子の実」の項にて、拙僧の想いをつづりましたが、戦争で肉親を亡くした拙僧の母が以前より「知覧に行きたい」と願っており、育てていただいた恩返しも兼ねて今回思い切って向かったのです。
 母は殆ど旅行をしたことがなく、体調を気遣いながらの旅でしたが、他界した父との新婚旅行が鹿児島だったらしく、感慨深い様子でした。(新婚旅行は海外が主流の今にあって、拙僧も鹿児島でした)そして念願の知覧では、整頓された町並み、桜の花びらが舞い上がる中、謹んでご冥福を祈念申し上げました。
 戦中の国民は、大なり小なり戦争という暗い時代を必死に生き抜きました。時代に翻弄され、武士人道の本質を忘れ、他者の生命や尊厳を奪った者もいたでしょう。そうせざるを得なかった者もいたでしょう。今だからこそ善悪の反省が容易に可能ですが、当時は容易ではなかったでしょう。しかし、どんな立場にあろうとも、皆、安穏幸福を願っていたに違いありません。
 今我々のすべきことは、悪しき真実を伝えないことによって当時の人々の尊厳を守るのではなく、全ての悪しき行為や事象をも後世に伝え、その中で、当時の人々が、どのような想いで激動の時代を生き抜いたかを我が身心に換えて種々感ずることであると思います。そうすることによって短絡的な平和主義から解放され、本当の意味で平和を意識実行するようになると思います。

 青山繁晴氏 硫黄島の取材のコメントより

~今まで日本は口だけ平和主義をうたってきて何が変わったか?硫黄島玉砕の際、時の栗林中将は白旗を揚げず、何万もの兵士を犬死にさせた悪人の評価である。しかし真実は、戦争末期、本土決戦を目前に控え、町から徴兵された一般の市民が硫黄島に多数あり、「戦略上この地を奪われたら本土爆撃の拠点になり、愛する國、愛する人が犠牲になってしまう。何としても最後まで粘り続けて戦闘を継続せねばならない。その間に戦争が終結する可能性もある」との思いで戦った。その遺骨の多くは、収集されず現在滑走路のアスファルトの下敷きになっている。(米軍は早急に滑走路を設する必要があったので、死体の上にアスファルトを流していった)これを放置するのは死者に対する冒涜である。硫黄島は今の時代の生きるテーマである。この犠牲になった人々は美しい日本を後世に託して亡くなった。しかし、今の日本は親が子を殺し子が親を殺す恐ろしい国になってしまった。硫黄島は現在民間人は入島出来ないが、国は一刻も早く整備して、その遺骨を収集し、誰もが入れる環境を整えよ。本来はアメリカ人の映画によって硫黄島を学ぶのではなく、日本人自らが自発的に学ばねばならないのである。修学旅行が観光旅行と化し、リゾートになど行くのではなく、硫黄島にて子供達に生命の尊厳を教えよ~

特攻平和観音堂


特攻平和会館


愛する開聞岳

島津磯御殿から拝した桜島


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