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岡山市 最上稲荷妙教寺・日蓮宗不受不施派祖山妙覚寺参拝 [霊跡由緒寺院]

合掌
 本要寺には最上位経王大菩薩が別勧請されております。このご縁により、年に一度は必ず岡山市内にある最上稲荷妙教寺に参拝いたします。今年も参拝してきました。
【最上位経王大菩薩】
 久遠実成の本師釈迦牟尼仏の応現として、衆生の済度のために菩薩の姿となって現れた、法華経の守護神といわれる。最上位とは、その位階が最上であることを表し、経王とは諸経の中の王をいい、最上位も経王も共に法華経を意味するのである。その姿は女神であり、柔和にして豊麗、左の肩に稲束をになって、右の手に鎌を持ち、白狐に乗り、その白狐は口に如意宝珠をくわえている。稲束は最上尊が五穀の神であることを象徴するものである。これは食糧をもって生活を守護することを意味している。また鎌は稲束と共に農作を表し、広く労働を守護する意を持ち、更に悪を払い退散させる意をも表している。白狐のくわえている如意宝珠は心願成就・開運招福を意味している。最上尊は俗に稲荷と呼ばれるところより、狐であるように混同されているが、いわゆるキツネ(動物)ではなく、久遠本仏・法華経の応現仏として、法華経の精神を心として衆生済度のために出現した菩薩である。最上尊の乗る白狐は、白すなわち最上尊の清浄なることと、神出鬼没の神通力・神秘的な霊力を象徴するものである。最上位経王大菩薩には八大竜王・三面大黒天の脇仏、日車天王(ひぐるまてんのう)・荒熊天王(あらくまてんのう)等の七七の天王が眷属として、取巻いている。
                                           《稲荷日宣『法華経の心』》
最上稲荷公式HP http://www.inari.ne.jp/




 
 岡山県は「備前の堅法華」といわれるほど日蓮宗信仰の非常に盛んな土地です。その中で、日蓮宗の一派である「不受不施派」の拠点であることは有名です。その祖山妙覚寺は最上稲荷からも近いのでそちらも毎年参拝いたします。妙覚寺歴代墓所には、不受不施の純潔を守るために殉死された僧侶や信者の供養塔が建立されており、他寺院の歴代墓所とは明らかに雰囲気が異なります。それは神社にも似た清らかな雰囲気です。
【不受不施派】
仏性院日奥上人(1565-1630)を派祖とし、岡山県金川妙覚寺を本山とする日蓮系の一派。日奥上人は豊臣秀吉の大仏千僧供養会の出仕に関して(日蓮宗の教義解釈で、信仰者以外への供養や布施、他宗僧侶との同座を禁じるもの。受けることも同様に禁じられ、歴史上度々解釈において問題視され議論になっている。中でも、この秀吉の千僧供養に出仕するか否かは当時大問題となり、為政者に反するような危険を冒すべきではないとして出仕を主張する受不施僧侶と、あくまで信仰の純潔を主張し出仕を拒絶した不受不施僧侶が対立した)日奥上人はこの不受不施義によって為政者の怒りを買い、慶長5年(1600)対馬に流罪となった。その後慶長17年赦免される。この頃より宗門内は勿論のこと、幕府の政策により社会的な問題として不受不施義と受不施義の論争となり、寛永の不受不施事件に日奥は死後の流刑を受けたのである。寛文5年(1665)幕府は土水供養を出して不受不施派の弾圧を行い、元禄4年には悲田停止令が出されて不受不施派は禁制宗門となった。以後、地下信仰として不受不施派はその法脈を伝承してきたが、その間多くの弾圧事件が引き起された。やがて明治新政府が確立するに及んで、明治8年に釈日正は不受不施派再興請願書を新政府の教務部に呈し、翌9年「日蓮宗不受不施派」の再興、派名公称の認可が下り、独立宗派となった。



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コメント 7

鐘の音

開聞院日梵上人様
最上稲荷のコメントありがたく拝読しました。家内の父親が備後の田舎の医者をしていましたが、毎年大晦日に、備前の最上稲荷の詣で、元旦朝に帰宅し、それから皆がそろって雑煮を祝っていました。当時は何も知らず、唯信心深い義父だなあとしか思っていませんでしたが、上人のコメントで白狐の意味することなどよくわかりました。小生は最上稲荷の前まで行ったのですが、石造の狐がこちらを睨みつけているようで、怖く引き下がりました。これからもいろいろとお教えください。特に写真入で理解が倍増します。よろしくお願いします。
by 鐘の音 (2007-03-27 12:57) 

日梵

鐘の音様
こちらこそよろしくお願い申し上げます。鐘の音の故郷方面に縁があり、なぜか嬉しくなってしまいました。合掌
by 日梵 (2007-04-11 03:00) 

鐘の音

日梵上人様
いつもながら興味深くお話を伺っています。
最上稲荷の由来から、最近「神仏習合」に興味を持つものです。
上人の九州に対する想い、特攻隊、靖国神社(寺ではない)などに対する想いをコメントで記しておられますが、小生としては全く同感です。しかし人格的生命や宇宙真理に通じる神がかった(勿論法華経にもいっていますが)ものを感じます。神仏区別するのは不可能と思いますが、人間の現実的実行・・・これこそ、日蓮の言いたかったことと思います。日梵上人のお考えは、法華経の宇宙や現世を含めた神仏習合的なお考えだと思います。
最上稲荷が正しくそれに値するのではないでしょうか?上人のご意見をお聞かせください。
最上稲荷が出雲大社とよく似ているのですが、特に「大しめ縄」がそう思われます。法華経に没頭した宮沢賢治は、しめ縄は「雨」・・あの太い縄は龍の象徴と思いますが・・、白紙のご幣は「雷」を意味し、雨乞い意味するのだといっています。雷は窒素を生み、五穀豊穣に繋がることから賢治はそう思ったに違いありません。
by 鐘の音 (2007-04-28 21:55) 

日梵

鐘の音様 
何時もコメントありがとうございます。このところ所用が重なり、中々更新できず反省しております。もっとコンスタントに更新できるよう努めます。

先日、奈良国立博物館の「神仏習合」展に行ってまいりました。

その模様やご質問の件につきましては、今暫くお待ちいただけますでしょうか。落ち着きましたらしっかりとコメント申し上げる所存です。
by 日梵 (2007-05-04 17:06) 

日梵

鐘の音様
大変遅くなりました。
>最上稲荷が出雲大社とよく似ているのですが、特に「大しめ縄」がそう思われます。法華経に没頭した宮沢賢治は、しめ縄は「雨」・・あの太い縄は龍の象徴と思いますが・・、白紙のご幣は「雷」を意味し、雨乞い意味するのだといっています。雷は窒素を生み、五穀豊穣に繋がることから賢治はそう思ったに違いありません。

 なるほど!大変興味深く読みました。日蓮宗でも、祈祷の世界で多くの注連・幣束が相承されておりますが、忍辱鎧日栄著の『修験故事便覧』(亨保13年=1728)には、「注連は浄穢を分つものである。乃至宝塔品の~時に娑婆世界、即ち変じて清浄なり。瑠璃を地として宝樹荘嚴し、黄金を縄として以って八道を界ひ~の経句を挙げておりますが、明治9年(1876)鶏溪日舜著の『祈祷故事略旨』にはこの法華経見宝塔品の経義が「界縄」の語源であり、「界縄を以て浄座を設け天衆をして安坐せしむるなり」とあります。
 ちなみに、最上様の注連縄は長さ12メートル、直径1,8メートル、総重量1,5トン、使用わら約20アール分だそうです。

>日梵上人のお考えは、法華経の宇宙や現世を含めた神仏習合的なお考えだと思います

 神仏習合につきましては、宗祖滅後すぐに受容の問題が表面化しました。かなり雑に概略すると

①日蓮聖人御図顕の御本尊が唯一絶対の帰命対象であり、この御本尊には日本国内外を問わず、全ての仏菩薩諸天が勧請されている。日本に邪法が充満しているため、善神は社頭を離れ、悪鬼が充満している。よって、神社参詣は謗法罪となる。(専門的には、これを神天上法門という)
②御本尊絶対主義は勿論だが、正しい法味(法華経)を捧げれば、善神が社頭に還ってこられる。「妙法五字の光明に照らされて本有の尊形となる」
日本国の大小の神祇は法華経の守護神であるから、法華経至上主義のもとの社参は問題ない。

 この2点で教義論争があります。現在日蓮正宗や日蓮宗不受不施派は①の捨国面を、日蓮宗は②の擁護面を強調します。(中には日蓮宗の僧侶でも、①に近い考えをお持ちの方もあるでしょう)
 確かに、日蓮聖人は信仰には厳格でしたので、①を主張されている御遺文も多くあります。日蓮聖人在世中、聖人にとって重恩の老婦がはるばる身延を尋ねられた際も、社参の後、身延に参拝されたことに対し、礼拝の順序が違う。信仰の厳正を図るためにお会いになりませんでした。
 しかし、順序の点に叱正有れども社参の是非には叱正なく、また、龍口法難の際、鶴岡八幡社頭にての日蓮聖人八幡神への諌言は、まさに②に値する根拠になりうるでしょう。明治までは、社僧が神社を統括していましたので、神祇勧請が他宗の法儀に則られ、謗法の可能性は否定できません。しかし、明治以後は完全に神仏分離を果たしましたので、法華行者として、堂々と参拝されるのです。(神社側にすれば都合の良い話かもしれませんが)

 専門的な話はきりがないのですが、拙僧は、あくまで久遠の釈尊の生命を生活の指標にしております。
「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。
衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
舎利弗、是れを諸仏は唯だ一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
三界は安きことなし、猶お火宅の如し。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患あり。是の如き等の火、熾然として息まず。
如来は已に三界の火宅を離れて、寂然として閑居し林野に安処せり。
今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯だ我一人のみ能く救護を為す」

 ですから、我々娑婆世界の現象も宇宙の真理に通じ、草木に至るまで小さな生命をも慈しみ、我が身の如く観じるよう努力しております。その表れが国土や先人への愛情であり、森羅万象、神と仏との融合であります。

 日蓮聖人は、なぜ不惜身命の信念で法を説かれたか、それは、釈尊の本意が廃れ、池の月を本物に見誤るが如く、方便の教えが蔓延していたからであり、釈尊を心中より慕われていました。ですから我々聖人に連なる弟子は、聖人と意を同じくして釈尊の御教えを第一に考えなければならないと考えます。
 「釈迦は抜け殻、去年の暦は役立たず、日蓮聖人が末法の本仏」と主張する団体も存在しますが、それは、聖人の本意ではなく、聖人滅後の誤った弟子の渇仰の意です。その弟子の渇仰は、もはや現代の教祖に向いています。
 時代の変遷によって仕方なきとは思いますが・・・・・・・・、

「釈尊が大事だって言ってるのに!!!!」 日蓮聖人のお声が聞こえるような気がします。                          日梵 九拝

追伸
奈良国立博物館の話は、この後アップします。
 
by 日梵 (2007-05-12 19:18) 

鐘の音

日梵上人様
貴重なお話ありがたく拝見しました。何も知らぬ私に易しくお教えいただき感激です。神仏習合にますます関心を持つようになりました。末尾の「釈尊が大事だといっているのに・・・・」は共鳴を感じます。また②の解釈に賛同するものです。いろいろとありがとうございました。これからもお導きください。先ずはお礼まで。
by 鐘の音 (2007-05-15 13:08) 

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