大本山池上本門寺参拝 [霊跡由緒寺院]
合掌
今日は日蓮宗大本山池上本門寺に参拝してまいりました。以前より、京田辺法華寺檀徒の方の諸願を祈念申し上げていたのですが、先月、霊山浄土に安穏に赴かれましたので、そのご供養と御礼に伺ったのです。
山門
大堂(祖師像を安置する最大の伽藍)
大堂からの境内点描
本堂(釈尊・法華経地湧の四菩薩を安置する)
霊廟(正面=日蓮聖人 脇=2祖日朗聖人 3祖日輪聖人廟所)
本門寺境内に咲くお会式桜
この大本山は東京都大田区に所在し、山号は長栄山です。日蓮聖人は弘安5年(1282年)に持病を治療するため身延山を下り、南部実長の次子弥三郎実氏の所領内にある常陸国(茨城県)隠井の湯に赴く途中、病が悪化して同年9月18日(19日ともいう)に武蔵国千束郷池上村の檀越池上宗仲の邸に立ち寄りました。宗仲や弟子たちの厚い介抱にもかかわらず病勢はすすみ、遂に10月13日ここで入滅します。
昭和20年(1945年)戦災で五重塔・経蔵・宝塔・惣門を除くほとんど全山の建造物を焼失しますが、幸いにも祖師像(国・重文)と聖人自筆消息などを含む古文書類が多少持ち出されて難を免れました。この祖師像は、宗祖7回忌の折に造立されたもので、日蓮聖人に親近していた直弟子らが花押を認めておりますので、聖人の面影を現在に伝える貴重な祖師像です。力強く、もの凄い眼力をおもちの聖人像です。
昭和23年以来は復興事業を重ね、現在は大伽藍群が建立されました。なお、聖人入滅の忌日に毎年執行されるお会式の行事は、江戸期から当地最大の宗教的“祭り”として著名であり、いまも盛大を極め多くの善男善女が参詣します。そして池上本門寺は「日蓮聖人ご入滅の霊場」として700年余り法灯を護り伝えるとともに、「布教の殿堂」として、さまざまな布教活動を展開しています。
帰りがけに、日蓮宗の出版部である日蓮宗新聞社に立ち寄り、各種仏教書、経本を購入して帰宅いたしました。 本要寺住職 日梵九拝
未だ日蓮聖人の御廟所を訪れたこともない者にとって、御廟所の写真は心打つものでした。2祖日朗聖人の御廟は向かって右、3祖日輪聖人は左なのでしょうか?また南を向いて鎮座しておられるのでしょうか?
京都の御所では天皇は南を向いておられ、天皇の左側(東側)位が高く、左大臣や左京区や左近の桜などがそれに値します。従って右大臣、右京区、右近の橘が一段下に位します。
日蓮聖人の場合は上下の関係はないかも分かりませんが、順番として向かって右に日朗聖人、向かって左が3祖日輪聖人なのでしょうか?
どうでもいいことかも分かりませんが、例えば対談TVを見ると、向かって右がゲスト、左に司会者が位置しています。新聞でもお客としての広告主は多くは右の紙面に位置しています。右左を意識していないことはないと思います。脇侍の月光、日光はどうでしょうか?やはり決まっているようです。
by 鐘の音 (2006-11-23 23:28)
鐘の音様
池上の場合は、左が2祖、右が3祖のようです。しかしご指摘の通り、仏壇などの位牌は、向かって右側を上位とします。
日蓮聖人のご遺骨は全国数カ所に分骨されております。正墓は身延ですが、荼毘に伏した池上、あと鎌倉や京都東山二条にもございます。
by 日梵 (2006-11-25 12:26)
この日の日蓮宗新聞社のお店番の人は誰だったんでしょうか…?
下を向いてるのでちょっとわかりませんね(^^;)
by シー・ちょっと気になる・チキン (2006-11-30 22:15)