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日蓮聖人御会式を厳修しました。 [法要行事]

合掌 
 皆様お久しぶりです。このところ葬儀など、多忙な日々が続いており、ブログ更新が滞っていました。お許し下さい。
 本日は、本要寺の今年最後の行事である日蓮聖人遠忌法要である「御会式」を厳修しました。
お陰様で老若男女お参りいただき無事円成しました。我々の日々のご修行やご供養は日蓮聖人の死身弘法・不惜身命のご化導があってのことですので、日蓮宗徒・法華行者には一番重要な法要なのです。
 本日の法要法話は「輪廻転生を考える」でした。仏教では、魂の善業悪業の差違によって因果応報「六道の輪廻転生」を繰り返します。しかし、精神性を高め、一切の執着をなくすことにより輪廻から解放され、永遠の平安を得る(悟り・成仏・解脱)と説かれ、仏教徒の究極的な目標であります。

六道とは
地獄(周知通りの絶え間ない苦しみ) 
餓鬼(貪り、妬みの強いものが落ちる世界。飲食が出来ず、屎尿ですら火に変わってしまう)
畜生(動物の世界。互いに喰らいあい、常に外敵におびえ心の平安がない)
修羅(戦いの絶えない世界。いつ襲われるやもしれず、心の平安がない)
人間(我々の世界。煩悩に執着する故、四苦八苦により心の平安がない)
天 (欲を離れた天界はいっけん良さそうだが、死の恐怖がつきまとう)

 です。よくチベット仏教徒が、何時間もかけて過酷な五体投地をしながら聖地巡礼する姿を見ることがあります。彼らにとって仏教は生命であり、生活であり、教育です。また、輪廻を信じ、現在過去未来の三世にわたって犯した罪を、ひたすら今生で罪障消滅し、後生善処の為に信仰しています。たとえ子供であってもそのように考えています。同じ仏教徒でありながら、御利益主義や先祖供養に終始する日本仏教とはかなり異なります。
 拙僧も覚えがありますが、子供は悪気もなくバッタの足をもいだり、蟻を丸めて遊んだりします。しかし、チベットの子供はそのようなことをしません。なぜなら来世、自分が蟻となって丸められてしまうと考えるからです。また、金持ちもうらやみません。今現在の状況をしっかり生き抜くことが重要であると考えるからです。愚かなイジメも少ないのです。修行放棄に相当する自殺も少ないのです。貧しいのに素敵な笑顔をしているのに納得がいくでしょう。
 現在日本ではイジメや自殺が大きな社会問題になっています。毎日学者の方がどうすれば良い方向に向くか真剣に議論をしています。今の大人は子孫に財産などの物質を残すことばかり一生懸命になり、温かい心を伝えきれていません。動物は放っておいても動物になりますが、人は教育無くして人になりえません。このようなことでは自己中心的で、他者に感謝できない子供がますますふえるでしょう。戦後日本で、宗教教育は市民権を得ていませんが、もし上述したような仏教教育を大人や子供が実践したらどうでしょう。仏教は諸々の社会問題を解決する糸口になるでしょう。
                                             本要寺住職 日梵九拝
追伸 本要寺ホームページに御会式の大きな写真を掲載中です。
http://www009.upp.so-net.ne.jp/honyouji/



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鐘の音

最近教育問題が注目を浴びていますが、宗教教育、仏教教育のご意見同感です。幼少時「地獄絵巻」を題材に地獄の話を聞いたとき、怖く震顫をおぼえ、あんなところへ行くのはごめんだ、悪いことをしてはいけないと思ったものです。チベットの子供の話、小さいときの仏教教育がどんなに大事か考えさせられます。

話は変わりますが、本要寺の前に蓮光山とありますが、何か意味があるのでしょうか?お教えください。
by 鐘の音 (2006-11-07 14:40) 

日梵

鐘の音様
 お久しぶりです。またまた当ブログを気にしてくださって感謝申し上げます。
ご質問の蓮光山についてです。

 寺院には寺名の前に山号があります。これは、本来寺院は静寂な山中に修行の場を置くが適するも、実際は色々な場所に寺が建立されます。(まさに即是道場)ですから、せめて山号をつけることによって土地に静寂さを求めるのです。
 ちなみに日蓮宗は法華経を拠り所としますので、山号はじめ戒名(日蓮宗では法号と呼ぶ)などは法華経を出処とした文字が多いです。蓮光山も法華経が出処ですが、おそらく江戸時代の本寺末寺制度のしくみの中で、当山は京都六条(現在は山科御陵)の大光山本圀寺の末寺だったため、法華経から蓮、本山から光山を取ったものでしょう。
 ちなみに兼務寺の京田辺法華寺は瑞應山です。出処根拠は法華経出処という以外は不明ですが。
 鐘の音様は近畿の方ですか?ご縁がございましたら是非御参拝下さい。大歓迎ですよ!
 
追伸 兼務寺の法華寺ブログは本要寺のものと基本は同じ日記ですが、若干異なる部分もあり、同じでも書き込みの展開が変わりますので、お時間がございましたらそちらものぞいてください。合掌
http://blog.so-net.ne.jp/hokkeji/                   
by 日梵 (2006-11-07 22:42) 

鐘の音

いつもながら、ご丁寧な分かりやすいお話うれしく痛み入ります。
山号のお話興味深く読みました。他宗では山号はないのですか?
親鸞、栄西、法然、日蓮、道元など日本を代表する宗教家が皆比叡山で修業し徳をえたといわれていますが、共通する考えと、相違点は何なのでしょうか?
今日正倉院展を観に奈良へ行ってきましたが、仏教の偉大さに改めて感心しました。宗教教育の重要さも深く感じます。
とくに幼少時の教育が大事と思います。小生も幼少時「地獄絵巻」を紙芝居ふうにして観ましたが、強烈なショックを受けたのを覚えています。是非子供を対象にした法話や宗教教育をお願いしたいものです。
by 鐘の音 (2006-11-11 21:39) 

日梵

鐘の音様
<山号のお話興味深く読みました。他宗では山号はないのですか?
 他宗でも山号はございます。(中国の寺院でも天台山国清寺など)国内は高野山金剛峯寺・比叡山延暦寺・華頂山知恩院・吉祥山永平寺等

<親鸞、栄西、法然、日蓮、道元など日本を代表する宗教家が皆比叡山で修業し徳をえたといわれていますが、共通する考えと、相違点は何なのでしょうか?
 一言で説明するのは難しいのですが、仏教は奈良時代は学問と国家鎮護、平安時代は、国家鎮護と為政者・権力者達の現世安穏を中心に発展しました。鎌倉時代は、仏教で言う三時(正法期・仏陀の教えが伝わる期間 像法期・修行者は存在するが、悟るものはいない期間 末法期・正しい修行者が存在せず、世間には争いや病災がはびこる期間)の末法期に突入しておりますので、世間は不安にさいなまれ、いかにして生活を穏やかに営むことができるかを追求した仏教が栄えるのです。つまり、識字能力の乏しい民衆をも救済せんがために、各宗派の祖師は修行布教されました。比叡山は当時の総合大学のようなものでしたので皆集ったようです。
親鸞=南無阿弥陀仏の念仏を唱えることで悪人こそ救済が約束されている。
法然=南無阿弥陀仏の念仏を唱えることで阿弥陀仏が来世成仏を約束される。
道元=ただ座ることにより執着を離れ空を感ず。その姿そのものが仏である
日蓮=釈尊の残された末法の良薬であり、真理である南無妙法蓮華経を色心受持することで、釈尊の一切真理を自然に我々に授与される)

<正倉院展を観に奈良へ行ってきましたが、仏教の偉大さに改めて感心しました。宗教教育の重要さも深く感じます。
とくに幼少時の教育が大事と思います。小生も幼少時「地獄絵巻」を紙芝居ふうにして観ましたが、強烈なショックを受けたのを覚えています。是非子供を対象にした法話や宗教教育をお願いしたいものです。
 正倉院展はすごい人出のようですね。拙僧は個人的に古都でも京都より奈良を好んでおります。「地獄絵巻」はインパクトがありますよね。五感いっぱいに宗教を観ずることは大切だと思います。 
 仏教系幼稚園などでは、絵本や紙芝居を使った仏教説話を子供に伝えています。拙僧も寺院幼稚園でしたので、ケチで編み物ばかり熱中していて親の手伝いを全くしなかった娘が来世蜘蛛になってしまった絵本をよく覚えております。
 
by 日梵 (2006-11-15 22:33) 

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